確かな未来を見せてくれた Fluke

今回はイギリスのエレクトロニック・バンド Fluke(フルーク) について語ります。

Fluke は1991年から活動していますが、私は1996年のプレイステーションのゲーム「WIPEOUT XL」に収録されていたBGMで知り、1997年の5thアルバム「Risotto」でファンになりました。
このアルバム「Risotto」には、まさに未来の音楽が詰め込まれていました。旧来のロックやハウスのダイナミズムを引き継ぎながら、エフェクト感たっぷりのシンセサイザー音が分かりやすいリフで縦横に駆け巡るその曲スタイルは、1990年代の「カッコイイ音」のど真ん中に位置していたと思います。


ここからは完全に私事のお話しですが、私がテクノを知らない人にテクノを紹介する時には、Fluke のこのアルバムの曲を聴いてもらうことがあります。
もちろんテクノとは元来、デトロイト・テクノをルーツとするものであり、対して Fluke をジャンル分けするのであればプログレッシブ・ハウスにあたるので、その音楽性は全く異なることは承知しています。しかし「テクノ」という言葉の響きが内包する「機械的」、「未来的」といったプラスのイメージを押さえつつ、「分かりにくい」、「無味乾燥」といったマイナスのイメージを払拭するには、Fluke の曲はうってつけではないかと思うのです。いきなりデリック・メイホワン・アトキンスを聴かせても、残念ながらあのワビサビの良さはなかなか伝わりにくく、単にチープだと断じられてしまうのが正直なところだと思います。
話が逸れましたが、Fluke はつまりそういった「未来の音楽」を分かりやすいポップな形で体現してくれたバンドだと思うのです。


6thアルバム「Puppy」(2003年)では「switch-twitch」「Blue Sky」が好きです。特に「Blue Sky」は、Flukeのスタイルからは若干離れた曲ながら、伸びやかなゴスペル風コーラスが絡んでいて多幸感たっぷりです。


さて、Fluke の Wikipedia のページ中程にて、その音楽性が古くさいと酷評されている2003年の音楽雑誌の記事が引用されています。
それは確かに的を射た意見であると思います。先ほど Fluke を「未来的」であると評しましたが、それはあくまで90年代の感覚から見たものであって、2000年以降の視点で見ればその様は「レトロ・フューチャー」と形容すべきものでしょう。そのせいでしょうか、Fluke 名義のリリースは2003年以降、途絶えてしまいました。
「スタイルが時代にそぐわなくなったから、悪」と断じるかのような評価には賛同できませんが、確かに Fluke が商業的には敗北者扱いとなってしまったことは認めざるを得ず、もう新譜のリリースは期待できないだろうと諦めてしまっていました。

しかし Fluke の主要メンバーは後に 2 Bit Pie というバンドを結成し、2005年にアルバム「2 Pie Island」をひっそりとリリースします。そのサウンドは Fluke 丸出し。もうこれを Fluke の新譜にすれば良いのにとすら思いました。そう、つまりそこには、あの懐かしき「未来の音楽」が詰まっていたのです。


エレクトロニック・ミュージックが広まって半世紀が経ち、今やそのサウンドは珍しいものではなくなりました。そしてエレクトロニック・ミュージックの一翼を担うテクノも同様に市民権を獲得してきましたが、しかし未だに「テクノ」=「レトロ・フューチャー」というイメージが世の中にはあって、逆にそんなモチーフをもった音楽であればテクノと見なす風潮もあります。例えば Perfume を「テクノ」と評したりするのが挙げられます。
単に私が Perfume が好きだからでしょうか、その風潮を糾弾するつもりは毛頭ありません。テクノに限らず他のジャンル、例えばロックだってヒップ・ホップだって、そういった元来の姿とパブリック・イメージが乖離している現状があるもので、それは避けられないことだからです。とは言え、とりわけエレクトロニック・ミュージック界隈においてはその乖離が強い気がします。
Fluke はそんな激しいイメージの乖離の只中で、世間から求められる形を完璧に体現せしめたミュージシャンだと思います。そしてその曲は「かつて人々が夢見た未来の音楽」としての姿を保っているのです。
今からでもそんな Fluke2 Bit Pie を再評価するのも悪くはないんじゃないでしょうか。


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